老いるということ

この歳になって、老いることがこんなことだと知るのだ。

昔、たしか、50が定年だった頃があったと思うのだが、まあよくわかる。50を越えると、いろんなできてたことが、できなくなる。仕事に自信がなくなる。言われたことに対してピンとくることが明らかに減っている。経験の積み重ねによる、判断力はついているのかもしれない。だが、うまく使えないと意味は無い。

40と50は違うぜ。

結婚

結婚は早くしたほうがいい。

人間なんて年を取れば取るほど賢くなるし、そりゃもう結婚なんかしなくていいかとか思うようになってしまうに違いないのだ。

若いうち、恋してるうちに結婚してしまうべきだ。

この歳になって、あれ?オレら全然趣味も考え方も違うやん!と思うこともよくある。

なんかいろんなことがあって、20年も30年も経ってから、オレらって?と考える余裕ができてくる。それでいいのだ。そうこうしてるうちに死ぬって。

残りあと20年とかの間で人生ころっと変わってるかもしれないが。

神を巡る本

神について知りたいと思ってると、ときどきそれらしき本に巡りあう。
でもそれはいつも胡散臭い本である。
胡散臭く思えるのは、神が、神の存在について知られると困るから、人間がそういうふうに感じるようにプログラミングしているからである。
と思えなくもない。
もしその本を見ても胡散臭いと思えないところまでになったとしよう。
それは、普通の人から見ると自分が変なやばいひとになっている可能性が大なのではないか。
こうして、いつまでたっても、人を作った神(のようなもの)の存在にはたどり着けないのである。

 

ここは神ブログ?

「あらゆる細胞に変化できるiPS細胞(新型万能細胞)を使って、マウスの体内で人間の肝臓を作ることに、横浜市立大学などのグループが成功した。」というニュースが今日流れた。オレには詳しいことはまったくわからないのだが、人間が神に近づいているのかなと思ったわけだ。今はまだその時じゃないと思う。しかし、あと、50年なのか100年なのか経ったときに、誰かが、あっ!と思うわけだ。オレたち人間て、誰かが作ったものだったんだ!と思うときがやってくるのだ。